明快な英語を書く

amazon.comのレビューアのコメントになかなか示唆に富むコメントを見つけたのでここに紹介したいと思います。

それは「AMA Manual of Style: A Guide for Authors and Editors」に対するBill Frankeさんのコメントです。

「AMA Manual of Style」はAmerican Medical Associationが発行している、医学論文を書く際の手引きとなっているガイドブックなのですが、Bill Frankeさんはその手引きが医学論文の冗長でもったいぶった表現を助長していると批判しています。

Bill Frankeさんがやり玉に挙げているのが、その本の冒頭部分に登場する以下の表現です。

“Preparation of a scholarly manuscript requires thoughtful consideration of the topic and anticipation of the reader’s needs and questions”

この表現が「冗長」「もったいぶっている」と言うのです。そして以下のようにより簡明な表現にすることを勧めています。

“When writing your scholarly article, think deeply about the topic and anticipate your reader’s needs and questions”.

最初の文章では読む者を突き放した表現ですが、この文を読んでいる人に直接語りかけるスタイルになりました。さらに、”think deeply about the topic”も余分なので思い切って省いてしまい、最終的に

“When writing your scholarly article, anticipate your reader’s needs and questions”

としています。確かにすっきりとしましたね。

学者や研究者の中には「冗長」で「もったいぶった」表現と「格調高い」表現とを混同している人が、洋の東西を問わず多くいるのですが、彼らには「明快」で「読みやすい」表現を心がけてもらいたいものです。

ただし、学術論文では最初の表現もありとは思いますが。

糖分の取りすぎがコレステロール値に悪影響

アメリカの Emory School of Medicine の Dr. Miriam Vos のグループの臨床研究から、糖分をより多く取っている対象者のLDL値はそうでない対象者に比べて高く、逆にHDL値は低いとの研究結果が得られました。

ただし、HDL値の差は統計的にある程度の有意性があります(p < 0.001)が、LDL値の差は統計的に有意ではありません(女性に対して p = 0.047、男性に対しては差は無し)。また対象者のBMIがほぼ27から28ですから、太り気味の人を対象にしていることも念頭に入れておく必要があります。もちろん対象者はアメリカ人です。

この結果をそのまま日本人に当てはめても良いかどうかは不明ですが、糖尿病の危険性も付きまといますから、少なくとも糖分の取りすぎには注意した方が良いことは確かでしょう。

[参考文献]
Jean A. Welsh; Andrea Sharma; Jerome L. Abramson; Viola Vaccarino; Cathleen Gillespie; Miriam B. Vos
Caloric Sweetener Consumption and Dyslipidemia Among US Adults
JAMA, April 21, 2010; 303: 1490 – 1497.

「科学の未来」フリーマン・ダイソン

物理学者フリーマン・ダイソンが、科学と技術に関して彼の持つ透徹した深い洞察力に基づき、「物語」「科学」「技術」「進化」「倫理」の五つの主題のもと、過去の歴史から説き起こして来るべき人類の未来を描きます。

特に、第4章の「進化」の章において、10年後、100年後、1000年後、1万年後、10万年後、100万年後、そしてそれ以降の未来において人類がたどるであろう予想図に関して語る場面は、凡百のSFを読むよりも遙かにエキサイティングでした。

原著の初出は1997年ですから、これらの予想の中にはすでに実現されている技術(ヒトゲノム解読等)もありますが、決してその古さを感じさせない点も本書の魅力の一つでしょう。

ただし、多くの場面で翻訳者が科学と技術とを混同している点には少々疑問を感じます。科学と技術は渾然一体となって発展してきたことは事実ですが、だからといって著者は決して科学と技術とを混同していないと思います。そういう意味でも原著「Imagined Worlds“>Imagined Worlds」を直接読むのが良いかもしれません(原著の英文は平易です)。

また、科学自体は、宇宙の真理を極めようとする人類の文化的活動であると思っている私にとって、科学が悪を産み出すこともあれば善にもなりうるという著者の主張には、完全に賛同することはできません。

このように、諸手を挙げて賛同できるわけではありませんが、人類の第一級の知性が示す未来を共有できたことは非常に有意義でした。

「理科系の作文技術」木下 是雄

正確、的確であり、かつ読みやすい文章を書くためのエッセンスが詰まっています。

水が低きに流れるがごとく自然な論理の流れにしたがって文章を構築していくことの重要性が説かれているのですが、それは、ただ単に文章を書くという行為だけに留まりません。本質は、いかにして相手に自分の思うところを的確に伝えるかという点にあるのです。それゆえ、本書は単なる作文技術の本を超越しています。理科系と銘打っていますが、まさに万人向けです。

1981年の発行ですが、本書の本質は今でも古びていません。本物は永続する良い例です。まさに永遠の名著です。

「世界は分けてもわからない」福岡 伸一

生物学者である著者は主張します。「生命現象の本質は、物質的な基盤にあるのではなく、そこでやりとりされるエネルギーと情報がもらたす効果にこそある」「生命現象は可塑的であり、絶え間のない動的平衡にある」と。そして、「世界は分けないことにはわからない。しかし分けてもほんとうにわかったことにはならない」と。著者は、ここに現代の生物学・医学の成功と限界をみます。

本書はとある絵の逸話から話が始まります。それは、15世紀後半のイタリアの画家ヴィットーレ・カルパッチョの手になる二つの絵です。イタリアとアメリカの美術館で別々に所蔵されているその二つの絵は、もともとは一つの絵を二つに切り離した作品であり、片方の絵のみをどれだけ熟視したとしても、他方の絵の内容や構図を想像するは不可能なのです。この話から、部分をどれだけ詳細にしらべても全体はわからない、つまり、「世界は分けてもわからない」という本書のタイトルに結びつく主張がなされます。

この主題を要として、「視線を感じるということ」「コンビニのサンドイッチが長持ちする理由」「ES細胞とガン細胞」「膵臓の働き」「空耳、空目(そらめ)」などの生命現象の具体例において、著者の思うところが述べられます。

さて、本書に読み終えた後に、二点、覚えておきたい箇所がありました。

まず「消化」に関してです。消化のほんとうの意義は、単に食物を分解して吸収しやすい形にすることにではなく、「前の持ち主の情報を解体すること」にあります。食物タンパクは、もともと他の生物体の一部であったので、元の持ち主固有の情報がアミノ酸配列に記録されているために、取り込んださいに異物として拒絶されないようにするには、それを元の持ち主固有の情報をもたないアミノ酸にまで分解する必要があるのです。これが本当の「消化」の意義なのですね。

第二に「食品保存料」に関してです。食品保存料として一般に使われているソルビン酸は水溶性であり、ヒトに対するその毒性は同じ哺乳類であるラットなどと同等であると考えられます。これら二種類の動物における代謝や解毒の仕組みがほぼ同じであるからです。しかし、人間の消化管には約120兆から180兆個もの腸内細菌が共生していると推定されています。細菌に対する毒性を持つソルビン酸などの食品保存料が、たとえラットでは毒性が無い、人間の細胞には直性的には毒性が無いからと言って、腸内細菌をも含む人間総体として捉えた場合にも毒性が無いかどうかは未知なのです。そういう意味では、できる限り食品保存料の摂取は減らすのが賢明でしょう。

以上述べた箇所も含めて、本書の前半の三分の二は主題に沿った話題で占められていますが、後半の三分の一では、本書の主題からは少し離れた話題に話しがおよびます。それは、生体におけるエネルギー代謝の解明で一家を成した学者エフレイム・ラッカーと、「天才」学生マーク・スペクターの共同研究における逸話です。ここでは、研究における熾烈な競争や倫理問題が絡んできており、確かに一気呵成に読ませるのですが、いかんせん本書の主題とは直接は関係しませんので、別な著書に収めた方がよかったように思います。

さて、現在の人類は、いまだに生命を全体として理解するまでには至っていません。もちろんシステムズ生物学などの野心的な試みはなされていますが、本当に生命を理解するにはいくつもの大きな壁を乗り越える必要があります。それゆえ、世界は分けてもわからないとわかってはいても、分けるしかないのです。著者もその「矛盾」を重々承知しながら日々の研究を行っているのでしょう。

同じ著者による「生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)」もお勧めです。

「大往生の条件」色平 哲郎

本書のタイトルの「大往生の条件」からすると、一般人が「大往生」するにはどうすれば良いかを説いていると思えますが、実際には一般人向けと言うよりは、医学・医療の世界を目指している若者に向けた書と捉えた方がより良く本書の内容を表していると思います。

感染症などの急性疾患に対しては十把一絡げ的な対処法によって絶大な威力を発揮した西洋医療も、ガン、心疾患、糖尿病などのいわば慢性疾患に対しては画一的な治療法では完治が望めない場合が多々あると言う現実に直面しています。

このような現実を目の当たりにしてきた著者は、長年、僻地医療に携わってきた経験を基に、『人間が人間として人間の世話をする「ケア」である医療』と言う医療の原点に立ち返ることにより、今後の医療の在り方を問いただしています。

その上で、「大往生=畳のうえで死ぬ」ための条件として
1)大きな病気をしないこと(一病息災)、
2)子や孫、隣人から尊敬されるお年寄りであること、
3)年寄りを尊敬する、よい子や孫を育てていること、
4)在宅で看取れる人的、物的環境が整っていること、
の4つを挙げています。1は日頃から健康に留意してればある程度までは可能ですが、個人の力ではどうしようも無い部分もあります。2と3は個人の心がけ次第です。4に関しては個人の問題と言うよりも社会全体の問題と言えるでしょう。

医学・医療の世界を目指している若者に向けた書と述べましたが、もちろん一般人にとっても、大往生を遂げるための日頃からの心構えや、もし自分がなんらかの重篤な病気に罹った場合に、いかに医師に対して自分の意志を伝え、供に治療に取り組み、かつ周囲の人と接していくのか、に関する心の準備をしておく一助となるでしょう。

「天皇論」小林 よしのり

日本人としてのアイデンティティの確立に必ずや一役買うであろう良書です。

漫画と言う手段を通して、「天皇」「皇室」「君が代」「神道」に関して分かりやすくかつ詳細に述べています。恥ずかしながら本書を読んで初めて「天皇」に対する自分の認識が曖昧であったかを思い知らされました。

著者が言わんとすることをまとめると、天皇とは、
1)国内的には、数千年の長きにわたって民間に信仰されてきた「神道」、日本人の精神の根幹を成している「神道」の祭祀を執り行うことを通して、国土と民の安寧を祈る「祭祀王」であり、
2)対外的には日本という立憲君主国家の国事を執り行う「元首」なのです。

また、日本の国歌である「君が代」は、『古今和歌集』に収められた「わが君は 千代にましませ さざれ石の いはほとなりて 苔のむすまで」という長寿を祈る「賀歌(がのうた)」にその源を発し、その後千年以上の長きにわたって庶民によって歌い継がれてきたと言う事実を初めて知りました。さらに、「君」は天皇のような特定の個人を指すのではなく、幅広く自分にとって敬愛すべき相手を意味するのです。つまり、「君が代」は天皇賛歌ではなく、あくまでも敬愛すべき人を称える歌なのですね。

著者が本書で述べていることは、本来なら初等教育において全生徒に対して教えるべき内容でしょう。

ただし、著者自身も本書の中で権威に盲目的に従うことの危険性を説いているように、本書の内容を鵜呑みにするのでなく、批判的に読む事によって、より良く「天皇」を理解できるようになると思います。

小学校高学年、あるいは中学校の副読本としても有用なのではないでしょうか。

自動車雑誌『NAVI』休刊へ

時代で言えば80年代、個人的には20歳代後半から愛読していた(ここ5年ほどは購読していませんでしたが)二玄社の自動車専門誌『NAVI』が、2010年2月26日発売の2010年4月号を最後に休刊になるとのニュースを読み、一時代が終わったとの感慨があります。「売り上げと広告収入の減少により2月26日発売の2010年4月号を最後に休刊」とのことです[参考]。これまで本誌の発行に尽力された皆様、本当にお疲れ様でした。

ただ単に車を紹介するのではなく、車を切り口にその時代時代の文化・世相を取り上げていた内容に魅力を感じて購読していたのですが、確かに5年ほど前から、内容にマンネリ化が現れるようになり、紙面に魅力が感じられなくなっていたことは事実です。

ところで私事になりますが、実はこの『NAVI』で連載されていた「10年10万キロストーリー」で取り上げてもらうことが長年の夢でした。

大学院卒業後の88年からカリフォルニアに住むようになり、89年に一発奮起でカリフォルニアの青い空にぴったりのセリカ・コンバーチブルを購入。以来21年間乗り続けています。現在、走行距離は26万マイル(40万キロ)。20年40万キロ、私の半生そのものであるこの車も、そろそろ取り上げてもらう資格があるかなと勝手に思いこんでいましたが、それも夢のまた夢です。

本田宗一郎の言葉

2009年12月22日付けの産経新聞に掲載された『次代への名言』の中で、以下のような本田宗一郎の言葉が紹介されています。

「技術そのものより、思想が大切だ。思想を具現化するための手段として技術があり、また、よき技術のないところからは、よき思想も生まれない」

ここで直ぐに思いついたことが、「思想」を「科学」に置きかえることです。

「技術そのものより、科学が大切だ。科学を具現化するための手段として技術があり、また、よき技術のないところからは、よき科学も生まれない」

良い言葉です。

ちなみに、カリフォルニア州在住の私は日本の新聞を手にとって読む事は適いませんが、iPhoneのおかげで産経新聞を読む事ができます。

「日本人の英語」マーク ピーターセン

本書は、著者が1980年にフルブライト留学生として初めて来日し、その6年後の1986年から2年間に渡って本書の内容を書きつづった連載を新書にまとめたものです。日本の大学で日本文学を学びつつ、多くの日本人理系研究者の書いた英文を添削してきた経験に基づき著された本書は、英語を日常的に書くことを生業としている日本人にとってのまさに座右の書と言っても過言ではないでしょう。

私自身、研究者として20年以上前に渡米して以来、日常的なメモに始まり、企画書、報告書、論文、学会発表、特許明細書、翻訳等々に関連して日常的に英語を使ってきましたが、このたび本書に巡り会ったことにより、今更ながらに蒙を啓かれました。そこには英語を書く際に日本人が陥りやすい落とし穴が見事なまでに明確に指摘されています。

まず最初の六つの章で説明される冠詞、名詞、名詞の複数形等(またそれは、日本人が英語を書く際にいつになっても悩む冠詞の使い方なのですが)に関する部分では、名詞に冠詞を付けるのではなく、まず冠詞ありきで、その後に名詞が続くと言うとらえ方が勧められています。文脈において「それぞれの名詞が、a、the、無冠詞、単数、複数のどの意味的カテゴリーに入るか」を常に確認すると言う習慣をつけるべし、なのです。

本書の前半部分は、実は多くの文法書に書かれている事ではあるのですが、成人してから中高での文法書を読み直したことなど一度もない私にとっては、まさに再教育を受けた感です。このように前半部分から学ぶことも多いのですが、本書の真価が発揮されるのは、後半の関係詞、先行詞と関係節、副詞と論理構造、接続詞に関する部分でしょう。

良い例が、「特に・とりわけ」と言う文句で始まる日本文に対して、”Especially, …” と訳してしまう間違いです。私も以前この間違いを犯して英語のネイティブスピーカーに直されたことがあります。それは、「”Especially, …” には、コンマで後に続く文から仕切られた、自立した「句」として働く慣用はない」からです。

また、”A lyrics of that song was written by a word processor, whose appeal is depending on clever rhyming and puns mainly.”と言う問題だらけの英文が、順を追って添削され、最終的に”A word processor was used to write that song’s lyrics, whose appeal would seem to lie mainly in their clever rhyming and puns.”に書き直される過程は見事です。

別の例として、日本人が書いた英語論文で見かける “The following results of this experiment were obtained: ….” と言う表現が取り上げられています。英語ネイティブスピーカーからすると、この受動態は非常に虚弱な感じを受けるので、 “We obtain the following results in this experiment: ….” あるいは “This experiment yielded the following results: …” の様に自信を持って能動態にすべしと勧められています。確かに、研究者ならば自分の研究成果を発表する際に、胸を張って後者の様に表現したいものです。

さらに別の例として、論文のアブストラクト(要約)では、特定の個人や組織に関わりのないように書く習慣があるので、例えば “We discovered a virus believed to be responsible for a disease similar to AIDS in cats.” を、 “We” と言う主語を使わないで表現する “Discovered is a virus believed to be responsible for a disease similar to AIDS in cats.” が勧められています。ただし、私は必ずしもこの主張には賛同しません。逆に、どうどうと”We …”と表現すべきだと思います。

そして圧巻は、最後の章で紹介される、志賀直哉の「城の崎にて」の一節にある「風もなく [小川の] 流れのほかはすべて静寂の中にその葉だけがいつまでもヒラヒラヒラヒラとせわしなく動くのが見えた」を “There was no wind, and except for the flowing stream, all lay in stillness, in the midst of which that single leaf alone kept up its busy fluttering, on and on.” と訳す箇所です。このような英文が書けるようになりたいものです。そのためには、結局は英語を英語として考えるしかないのです。日本語をその字面のまま英訳するのでは無く、まず日本語の文章が言わんとする状況を視覚的・感覚的・論理的に捉え、それを英語で表現する、という事を身につけることです。

アメリカ人である著者がほんの6年間(!)の日本滞在でこれほどまでに日本語と日本人を理解し、その深い理解に基づいて著された本書はまさに賞賛に値します。なにせ、私は20年以上もアメリカに住んでいるにも関わらず、未だにあやしい英語を操っていますから。

英文を書くことに関わる全ての日本人に読んでもらいたい一書です。