科学は技術ではない
日本人は往々にして「科学=技術」の様に科学と技術を混同したり、「科学技術」の様に科学と技術を一体化させてしまうという誤謬を犯しています。 一方、英米人は「science and technology」と言う表現をよく使いますが、この場合「science」と「technology」とは「and」で峻別されています。決して「science technology」と言う表現は使いません。 科学とは「自然が内包する真理を紐解いて人間が理解できる言葉で法則として書き記した知的活動」であり、技術とは「科学法則(あるいは経験則)に基づいて人間が能動的に現実の世界に作用しうる手段」です。
私はこのように「科学」と「技術」を明確に定義しそれを教育の初期段階において皆で共有することを提案します。例えば小学校から繰り返し徹底してこの概念を教えるべきです。 この定義に従えば、自然の真理を単に記述している科学に対して「善」である、あるいは「悪」であると表現することにはそもそも意味がありません。 一方、技術というものは「人間が能動的に現実の世界に作用しうる手段」ですから、それが害を及ぼすものであれば「悪」と言えますし、益を及ぼすものであれば「善」と言えます。 分かりやすい実例としては、アインシュタインが自然の真理を紐解いて導き出した「E=mc^2」と言うエネルギーと質量の等価法則自体は「善」でも「悪」でも無いが、その法則を現実の世界で実用化した「原子爆弾」は「悪」であり、「原子力発電」は「善」であると言うことがあげられます。この実例なら皆さんも私の意図するところがよく分かっていただけると思います。ただし、この「善」と「悪」の判断はあくまでも倫理的で相対的なものであって、絶対的なものでないことは認識しておくべきです。
そもそも何故このような話をしたのかと言うと、日本では特に基礎科学研究に対して「そんな役に立つかどうか分からない研究をしても意味がない、税金の無駄遣いだ」などの批判をよく聞きますが、それに対して異を唱えたいのです。つまり「科学」と言う知的活動自体に意味があり、科学者は堂々と「我々は自然が内包する真理を紐解いて人間が理解できる言葉で法則として書き記す努力をしています。この努力から得られる自然の真理に対する知見に基づいた技術が、将来益を生み出すかどうかはひとえに技術者達の努力にかかっています。この事実を理解した上で我々科学者の努力に賛同してくださる方、ご支援をよろしくお願いします」の述べればよいのです。それに人々が賛同できないなら残念ながら科学活動は不可能です。
誤解を恐れずに言えば、科学者のみが自然が内包する真理を紐解く事ができるのです。否、より正確に言えば、自然が内包する真理を紐解く事のできる人はすべからく科学者です。